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私はティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の16分音符の刻みがとても好きです。例えばマーラーの交響曲1番の4楽章、4番の1楽章、5番の5楽章など。もうずっと16分音符だけ弾き続けてもらいたいくらい。ただ16分音符を刻んでいるだけなのですが、その均等な響きはとても新鮮で美しいのです。

この16分音符は、彼らの音楽づくりのベースになるキー要素の一つだと思います。

ティルソン・トーマスは、クラシック音楽が用いてきた様々な民俗音楽とか教会音楽、軍隊音楽、世俗的な音楽などの断片を浮かび上がるように聴かせたいそうなのですが(方々で繰り返し語っています)、多分構造の枠組みがきっちりしていないと、こういういろいろなパーツがはめ込んである音楽には聴こえない。

だからサンフランシスコ交響楽団のメーキング映像を見ると、ティルソン・トーマスは正確性ということにものすごく厳しいし、長年の習慣でやっていますみたいな歌いまわしは、徹底排除。そうやってベースをきっちりつくったところに、いろいろな断片が組み合わされることで、はじめて断片が浮かび上がってくるし、パズルのパーツがはまるように決まるのだと思います。

彼らの16分音符は、他の何ものでもない練習の成果なのです。
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ティルソン・トーマスの音楽の核心部分が、ヨーロッパの背中を見ている音楽ではないことにあるというお話で、日本にも日本独自のクラシック音楽の発展型を探る指揮者が登場すれば面白いと書きました。

前回は触れませんでしたが、これには前提があります。

ヨーロッパの背中を見ている音楽ではない、アメリカ独自のクラシック音楽の発展型を探ることは、ティルソン・トーマス一人によるものではないということです。

それを探求したアメリカの作曲家による数々の作品の存在、そして彼の偉大なる先達バーンスタインの築いた道の上に重ねられているものであるということ。

だから、日本独自のクラシック音楽の発展型を築くには日本人作曲家の活躍という要素は不可欠だろうし、それを築いていくには何世代もかかるのでしょう。

そして日本の作曲家の作品というのは、単に日本人が書いた作品ということとは異なります。The MTT Filesでやっていたように、音楽を聴いたときに一般の人がアメリカらしいと感じられるかとか、その音楽を聴いたときに感じるフィーリングがアメリカ人皆が共有できるようなものであるかとか、それが「アメリカンサウンド」だという、そういうレベルの話なのです。

結局は、クラシック音楽をやっている人たちや一部のファンの中で完結してしまうのではなく、一般の人に共有されてはじめて「アメリカン」になれるということなのでしょう。

ティルソン・トーマスが執念のようにやっている活動は、すべてそこへ収束していくのではなかろうかと思います。
私はティルソン・トーマスの音楽の核心部分は、ヨーロッパの背中を見ている音楽ではないことにあるのだろうと書きました。

KEEPING SCOREの中でも「アメリカンサウンド」を何度も取り上げていること、ヨーロッパ公演を聴いて感じたこと、彼のレパートリーやプログラムなどもすべてそれで説明がつくのですが、そもそも彼が、

「America’s Orchestral Academy」と銘打って、「New World Symphony」と名づけたことから明白でしょう。

その「ヨーロッパの背中を見ている音楽ではない」ことが、大きな魅力になっているということは、非常に示唆に富んでいると思います。誰かの後追いでないというポジショニングの面でも、アメリカ独自のクラシック音楽の発展型を探求しているという点でも。

ひるがえって日本におけるクラシック音楽を見てみると、ヨーロッパの背中を一生懸命に見ているケースが多いように思います。それはことクラシック音楽に関する限り、日本人自身がそのメンタリティのあり方でよしとしているからでしょう。

そろそろ日本独自のクラシック音楽の発展型を探るガッツのある指揮者が出てきてもいい時期のような気もしますし、そうなれば面白いのにと思います。しかしながら、教育において日本のよさとか日本らしさとは何かということを考える機会がほとんどない状況でそういう人が登場するのかとか、人と違うことに大きなリスクが伴う日本社会で、仮にこれにチャレンジした人が現れたとして、つぶされずにMTTのようにしぶとくそれを貫けるかなどと考えると、ハードルが非常に高い。

かくしてヨーロッパの背中を見ていた方がいいという結論に落着く?
私はこのブログでよく、「サンフランシスコ交響楽団の音楽を聴くことは楽しい」と書いています。多分、一番登場回数が多いフレーズなのではないでしょうか。

この「音楽を聴くことが楽しい」とはどういうことなのか?どういう状態を私は意味しているのか、今日は突っ込んでみたいと思います。

まず、純粋に音楽がいきいきとしていて楽しいこと。何でいきいきしていると感じるかといえば、リズム感やサウンド、表現などに起因しているのでしょうが、演奏している彼らがとても楽しそうだということも大きいと思います。

そして次は、おそらくティルソン・トーマスの音楽の核心部分だと思いますが、彼らの音楽がヨーロッパの背中を見ている音楽ではないこと。彼らは自分たちオンリーワンのアメリカのクラシック音楽を追求している、そのユニークさが聴いて楽しいのだと思います。ティルソン・トーマスがアメリカで若い世代から支持されている理由もそこにあるのではないかと思います。

このことは、また改めてこのブログで取り上げたいと思っていますが、非常に重要なことだと思います。

これらに加えて楽しいと感じる理由は、音楽的な刺激があることでしょうか。常識を超えたアンサンブルの精度はもちろんですが、センス・解釈など、非常に知的好奇心をかき立てられる点が面白いのです。

最後もこれと相通ずるのでしょうが、プログラミングです。一つの演奏会の曲目の組み合わせが考え抜かれていて、通して聴いたときに何かひらめきがあるような、そんな感じがします。

こうして見ると、彼らの「楽しさ」というのは、誰でもお手軽に実現できる「楽しさ」ではないということがわかります。だからこそ「サンフランシスコ交響楽団の音楽を聴くことは楽しい!」

ティルソン・トーマスの音楽づくりを語る上で、「A Touching Performance」という言葉はキーワードです。これについては、KEEPING SCOREのチャイコフスキー編に入っているシンフォニーの紹介ビデオの中でも、The MTT Filesのハイフェッツの回でも語っています。

A Touching Performanceとはどういうことかというと、文字どおり聴く人に触れる(優しい触れ方もあれば、パンチのような激しいものなど様々な触れ方がある)演奏ということ。演奏は人どうしが触れ合うように、聴く人の琴線に触れるものでなければならないという意味です。

要するにA Touching Performanceでない演奏は、舞台上の仲間うちの自己満足にすぎないということです。彼は演奏家が「どうして音楽をやっているのか?」と聞かれて、「私は音楽が好きだから」と答えるようではダメで、「人のために演奏するのが好きだから」と心から思えるようにならなければならないと語っています。私は、常々半径5メートル自己完結型の演奏をする人がどうしてこんなにも多い?と思っていたので、ティルソン・トーマスがこれを語っているのを初めて聞いたとき、もうそれだけで感動でした。

サンフランシスコ交響楽団でも、オーケストラメンバーの意識をこれに変えるべく注力したと語っています。皆の意識を喚起するようなアクションを出すと言っていました。ライブ演奏のビデオをよく見ると、やっているのがわかります。

「ここでどうしてそのアクション?」と思うのは、どうもそれみたいです。
私は、オーケストラのライブ映像を見るのが好きで、今までいろいろ見てきました。そんな中、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の映像を見て思うのは、オーケストラメンバーが指揮者をよく見ているように感じられるということです。

これは意識してそうなのか、それともティルソン・トーマス(MTT)があまりに派手なアクションを繰り出してくるので、思わず見ちゃうのか?

オーケストラの中には、指揮者の映像だけ見たら感動そのものなのに、よくよく音楽を聴いてみると、オーケストラは指揮者にお構いなしにマイペースというのもあったりします。

そこへいくと、サンフランシスコ交響楽団は、それはもうスカッとするくらい、MTTの動きに反応します。

KEEPING SCOREのリハーサルシーンで、彼がこういうイメージでこういう音楽にしたいと語るシーンが何度か出てきますが、ライブ演奏編を聴くと、話していた通りの音楽になっているから驚きです。

こんなに思いを実現してくれるオーケストラって、そうめぐり合わないのではないでしょうか。

彼らの一致団結感というか、音楽が一つになっているエネルギーは、すごいと思います。

ランチェスター経営の本を読んで、オーケストラも同じ発想ができると思いました。

他よりも競争力のある商品=核になるレパートリーの存在

ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団で考えてみると、第一はやはりマーラー。

プログラムの紹介で、「It’s trademark」というだけで、すべてが通じてしまうってすごいことだと思います。ここではマーラー演奏では世界一かも?というレベルまで突き抜けているという点がポイントでしょう。

第二の核は、いわゆるアメリカものでしょうか。彼らのアメリカものは、本当にオープンで躍動感にあふれていて魅力的です。

これはやはりティルソン・トーマス(MTT)が、若い頃から作曲家本人との交流の中で培ってきたものが大きく、他の追随を許さない。また彼もアメリカ音楽を伝承していくということを非常に重要視しているように思います。

これらの中には、当然現代曲も多いのですが、聴く人に「面白い」と思わせるところが、他が容易にまねできない競争優位性なのだと思います。
今日は、さらなる飛躍を目指し、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の音楽は、こうしたらもっと良くなるという点について考えてみたいと思います。

1. 弦楽セクションの響き
金管はさすがうまいし、木管もヴィルトゥオーゾ的なものは感じないがオッケー。リズムが身上のティルソン・トーマス(MTT)の音楽で重責を担う、音のエッジをつくる打楽器やピッコロもがんばっています。改善の余地があるとしたら、やはり

弦楽セクションの響き

だと思います。今でも十分美しいし健闘していると思いますが、ベルリンフィルを生で聴いたときの弦の分厚い響きなどと比較すると、響きが薄いと感じるのは否めません。

もっとも、彼らも認識はあるようで、昨秋ゲットした10百万ドル(約12億円)の寄付は、弦楽セクションの拡充に当てると発表しています。時間はかかるのかもしれませんが、期待して待ちましょう。

2. 汚い音があってもいい
明るくオープンなサウンドは、サンフランシスコ交響楽団のアイデンティティだと思いますが、音にもう少し陰影があってもいいかなと思います。

ティルソン・トーマスの音楽は、曲の構造が複雑なものは、それを明晰に表現してしまう手腕の方に、リズムに特徴のある曲はそのリズム感に耳が奪われるので気になりませんが、そうでない曲だと、きれいにまとまっているという印象が強くなります。選曲でクリアできるのかもしれませんが、あれだけ極上の美しさを表現できるのだから、表現の深みという点で、反対方向への振幅ももっとあっても良いのではないかと思います。

もっとも、直近のマーラー5番の録音などでは、そのあたりを苦心した形跡があり、叫びが浮かび上がってきたり、心の奥底をのぞいているような音も感じました。ほんの紙一重の差なのかもしれません。


以上、2点を指摘してみましたが、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の音楽は、他のどのオーケストラともアプローチが違う、オンリーワンのものだと思います。今後どこまで極めてくれるのか、本当に楽しみです。
ティルソン・トーマス(MTT)の音楽を語る上で、テンポというのは、欠かせません。

彼には、もうこれ以外にはありえないというくらいまで突き詰めたテンポ設定の詳細なデザインがあって、それを土台に音楽を積み上げている感じがするのです。

そしてこのテンポが、非常に説得性をもってベースにあることと、彼持ち前の高精度で、躍動感あふれるリズムが合わさって音楽の流れを作り出し、音楽を独自のものにしている気がします。

KEEPING SCOREの中では、彼が舞台袖でテンポを確認している姿が映っています。

私は最初これを見たとき、精神統一のおまじないみたいなものなのかなと思いましたが、その後に舞台上でも、次の楽章を始める前にいちいちテンポを確認してから振り始める姿を見、恐れ入ってしまいました。

また、彼がピアノで弾いた部分に後からオーケストラの演奏をかぶせても、ぴったり一致しているのにも驚きました。

ティルソン・トーマスのテンポは、その日の気分や勢いで変わったりしなさそう。だから東フィルがオーチャードホールでやっているジルベスターコンサートを彼が振れば、時計を見なくても12時ジャストに曲を終わらせられますよ、きっと。
ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の音楽は、コントロールが効いている感じがします。CDの評などでも、ティルソン・トーマス(MTT)には、オーケストラを完璧にコントロールするテクニックがあるというように書かれているのを見たりします。この「コントロール」とは何かと考えると、

音楽が一つに統一されていて、オーケストラを自在に操っているように聴こえる

ということだと思います。どんなテクニックなのでしょう?

私はこれを探るべく、ビデオの映像を観察しました。

でもティルソン・トーマスの棒は、シンプル・正確・基本に忠実にしか見えない。流麗さという点では、ひざのクッションと振り下ろした時の腕の脱力が関係あるのかなと思いましたが、他に特別なことはなさそう。

そして、結論。「コントロール」の正体は、コミュニケーションの量が非常に多いということに尽きると。

舞台上で身体や目を使って出している情報ももちろん多いですが、ライブラリアンの活躍から始まり、メンバーとの打ち合わせ、どういう音楽にしたいか言葉でも語ること、相手の反応にリアクションすること、指揮者だけではなく、メンバー同士もお互いをよく見て演奏することなど、彼らの中を流れるコミュニケーションの量が多いということ。

また雰囲気も、ティルソン・トーマスは言っていることの中味は無理難題っぽいのに、相手に提案する口調で押し付けないし、「大変かもしれないけれど、やってみて」という感じなのです。

そして彼やメンバーの話から総合すると、これらを積み重ねながら、自分たちのサウンドを時間をかけて作り上げてきたということのようです。

誰にでもできそうで、できなさそう。特別な指揮法があるよりも、もしかしたら実行するのは難しいかもしれません。
ティルソン・トーマス(MTT)が自分の練り上げた音楽を実現させるための道はまだまだ続きます。
KEEPING SCORE チャイコフスキー編に、興味深いシーンがあります。

ティルソン・トーマスはコンマスと曲について、リハーサルプロセスが始まる前に、毎回お互いの認識を共有するために検討の場を持つというのです。

MTT: 始めにこういうイメージでやりたいと話をする
    次に、コンマスの意見を聞く
  ~しばらくMTTがピアノで伴奏しながら演奏~
MTT: (ここはボーイングを)ダウンからでどうだろう?
コンマス: (ちょっとやりにくそう)
  ~しばらくいろいろ試す~
コンマス: good!
MTT: (納得していない)もう一度弾いてみて。

これは、ソロがあるオーケストラメンバーとの間でも繰り広げられ、オーボエ首席と、2楽章冒頭のソロについて、アーティキュレーションの細部まで詰めるのです。

しかも、本番の映像を見たら、あんなに打ち合わせをしたのに、本番でもアーティキュレーションの細部まで指示を出している!

このDVDを何度も見た私は、おかげでここのメロディーをティルソン・トーマスの指示どおりに完璧に再現できます。

恐るべしティルソン・トーマス。
私がサンフランシスコで実際に聴いたのは、マーラーの4番でした。

4楽章で歌が入りますが、ティルソン・トーマスは歌手にも容赦なく多くの指示を出します。

好きに歌わせてくれない?

でもその甲斐あって、歌とオーケストラが分離しているように感じられることなく、一体となって交響曲を織りなしているように感じられました。

この時歌っていたのが、Measha Brueggergosmanという初めて聴いたソプラノだったのですが、彼女のピンクベージュのドレスが、ホールやオーケストラの色彩とマッチしていて、歌とオーケストラが一体化した音楽と絶妙のハーモニーだったのです。

この色はティルソン・トーマスから言及があったのか?もし、彼女が事前の音楽を作り上げていく過程で、それを自ら感じ取ったのだとしたら、ものすごく頭がいいと思います。

さて、歌手にも容赦ないティルソン・トーマス。今後彼らのマーラーシリーズには、ソリストとしてトーマス・ハンプソンが登場の予定ですが、ハンプソンでもそうなのか興味津々です。
プロフィール
 

潮 博恵

Author:潮 博恵
MTT&SFSの音楽センスと革新的な活動に感銘を受け、ブログを開設。

【続・徹底研究】ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団で、よりわかりやすく彼らの活動と最新情報をご覧いただけます
続・徹底研究MTT&SFS


著作権分野の英文契約書作成等の行政書士をやっています。
うしお行政書士事務所

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